安全保障

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経済政策

国家安全保障と外国投資:エクソン・フロリオ修正条項とは

エクソン・フロリオ修正条項は、一九八〇年代後半のアメリカにおける経済の苦境と安全保障に対する不安から生まれました。当時、アメリカは貿易収支の赤字が拡大し、特に日本からの投資が急増していました。一部からは、これらの海外からの投資がアメリカの産業の基盤を弱体化させ、国の安全を脅かすという声が上がりました。特に、技術関連分野での海外企業による買収は、アメリカの軍事力や競争力を低下させるのではないかと危惧されました。これらの懸念から、議会は一九八八年に包括的通商競争力法を制定し、その中にエクソン・フロリオ修正条項を加えました。この条項により、大統領はアメリカの安全保障を脅かす可能性のある海外からの投資を審査し、必要であれば阻止する権限を持つこととなりました。この条項の名前は、上院議員ジェームズ・エクソンと下院議員エドワード・フロリオに由来し、彼らがこの法案を強く推進しました。
経済政策

国の経済を司る会議とは?その役割と実態

国家経済会議は、一九九三年、米国のクリントン政権下で設立された大統領府直属の組織です。冷戦終結後の世界において、経済が国の安全を左右するという認識が深まり、設立されました。従来は国家安全保障会議が安全保障全般を担っていましたが、経済の重要性が増したため、経済版の国家安全保障会議として、総合的な政策立案と調整を担う必要が生じました。その目的は、経済政策のみならず、安全保障や社会保障など、幅広い分野を考慮した上で、国の利益に繋がる政策を立案し、大統領に助言することです。省庁間の縦割りを排し、横断的な視点から政策を検討することで、より効果的な政策運営を目指しています。世界経済の変動や技術革新といった複雑な経済環境に対応するため、専門家や研究機関との連携も重視し、国の経済戦略の中枢としての役割を担っています。
組織・団体

東南アジア諸国連合:結束と発展の軌跡

東南アジア諸国連合は、一九六七年八月にタイ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシアの五か国により設立されました。前身は一九六一年に発足した東南アジア連合で、タイ、フィリピン、マレーシアが中心でした。設立の背景には、共産主義の拡大に対する強い警戒感がありました。当時の国際情勢、特にドミノ理論が影響し、米国は地域の共産主義勢力拡大を阻止するため、設立を支援しました。当初、反共主義の立場を明確にし、加盟国間の結束を強化することで、地域の安定と安全を確保することを目的としていました。設立宣言はバンコク宣言として知られ、経済、社会、政治、安全保障、文化といった幅広い分野での地域協力が謳われました。