変動相場制

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経済政策

変動相場制と固定相場制下の経済政策効果

本稿では、経済の仕組みを理解するための模型を作り、為替制度の違いによる経済政策の効果を比較します。模型を簡単にするため、重要な前提を置きます。まず、物価は変わらないと考えます。これは短期的な視点に立ち、物価変動の影響を一時的に除外するためです。次に、物価上昇の予想はないとします。将来の物価上昇が今の経済活動に影響しないようにします。また、資金の移動は自由であるとします。これにより、国の金利変化が資金移動を引き起こし、為替相場に影響を与える流れを明確にします。最後に、分析する国は小さな国とします。自国の金利が世界に影響を与えないようにし、自国の政策効果を独立して分析します。これらの前提のもと、財政政策と金融政策が、固定相場制と変動相場制でどのように経済に影響するかを分析します。
経済の歴史

東南アジアの金融不安:過去の教訓と未来への示唆

一九九七年七月、タイの通貨バーツが固定相場制から変動相場制へ移行したことは、東南アジア一帯を揺るがす金融危機の幕開けでした。タイ政府はこれまで、バーツの価値を米ドルに対し一定に保っていましたが、経済の悪化と投機的な動きにより、維持が難しくなったのです。変動相場制への移行は、バーツの急激な下落を招き、タイの企業や金融機関は大きな負債を抱えることになりました。この状況は近隣国へ広がり、マレーシア、インドネシア、韓国なども同様の危機に見舞われました。背景には、各国が抱える経済構造の問題、例えば過剰な短期外貨借入や輸出競争力の低下がありました。国際的な投機筋の動きも危機を深刻化させました。タイの通貨変動は、一国の問題ではなく、世界経済におけるリスク管理の重要性を示す出来事として記憶されています。危機から二十年以上経った今も、当時の教訓は、新興国を中心に金融政策や経済運営の重要な指針となっています。
経済の歴史

金とドルの終焉:スミソニアン協定の盛衰

一九七一年八月、当時の米国大統領ニクソンによる政策転換、いわゆるニクソン・ショックが、スミソニアン協定締結の背景に深く関わっています。第二次世界大戦後、ブレトンウッズ体制のもと、米国ドルが基軸通貨となり、各国通貨はドルに対し固定相場制を採っていました。ドルは金との交換が保証され、一オンスあたり三十五ドルと定められていました。しかし、一九六〇年代後半、米国のベトナム戦争介入による財政支出の増加や貿易赤字の拡大で、ドルへの信頼が揺らぎ始めました。各国はドルを大量に保有していましたが、ドルと金の交換を躊躇するようになり、ドル売り・金買いが進みました。このような状況下で、ニクソン大統領はドルの金兌換停止という大胆な措置をとり、ブレトンウッズ体制は事実上崩壊しました。この発表は世界経済に大きな混乱をもたらし、新たな国際通貨体制の模索が急務となりました。ニクソン・ショックは、固定相場制の終焉と変動相場制への移行を決定づけ、スミソニアン協定はその過渡期の苦肉の策として生まれたのです。
経済政策

金融政策における三つの難題:国際金融のトリレンマ

国際金融におけるトリレンマとは、各国が同時に達成困難な三つの目標に関する問題提起です。具体的には、国内経済の安定を目的とした金融政策の自由、為替相場の安定、そして自由な資本移動です。これら三つを同時に満たすことは非常に難しいとされています。もし、ある目標を優先すると、他の二つを犠牲にせざるを得ない状況が生まれます。例えば、為替相場を固定化しようとすると、国内経済に応じた金融政策の自由度が制限されます。逆に、国内経済のために金利を調整すると、為替相場が大きく変動する可能性があります。各国は、自国の経済状況や政策目標を考慮し、どの目標を優先するか慎重に判断する必要があります。